6月16日説教「教会の使信」

 使徒言行録には、福音書記者ルカのイエス理解が示されている。そこでは、ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方と紹介している。「ナザレのイエス」が実在していたことがうかがえる。ただしイエスを十字架に駆けたのはユダヤ人と断罪し、ローマ当局には言及していない。会堂追放を受け、ユダヤ教には戻れないという思いとこれから宣教を進めていかなければならないローマへの配慮がうかがえる。  教会の使信として私たちはナザレ人イエスが神の御子であることを伝えていかなければならない。それは主の下された宣教命令に則って行われるものだ。ただし、宣教命令がなされてこの2,000年間も必ずしも順調とは言いがたかった。本日のテキストは、一番最初に宣教のために働いた人たちが、困難な状況の中で、いろいろな思いや配慮をしていたことが読み解ける。私たちも参考にしたい。  とはいいながらも、飽くことも諦めることも赦されてはいない。めざましい成果を求めることなく地道に宣教を進めていくだけだ。「FACT FULNESS」という本を読んだ。地球規模の統計を見ると、貧困、人口、教育、エネルギー等の問題は著しい改善傾向にあるという、神の国は日々実現しつつあると喜ぶべきだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA