7月7日説教「個人に対する教会の働き」

 迷い出た1匹の羊を探すために99匹を野原において出かける羊飼いのたとえである。このお話しは「弱者保護」という概念で、社会一般に理解されている。  ところが、現実的なに運用を考えると、残された99匹はどうなるのかという問いが浮かび上がってくる。神学部の学生には思考実験として良い課題だろう。但し、残された99匹の安全は確保されているものとする。羊飼いの留守中にオオカミに襲われることはない。さて、具体的菜問題を考えてみる。1匹を探すために放置された99匹がどのように判断をするのだろうか。  その答えは、99匹の受けとめ方による。最悪の場合は自分の権利が阻害されたというクレームに結びつくだろう。もっともである。  実際に、幼稚園で発達の遅れた子どもを引き受ける時は悩まされる。先生のエネルギーがそこに偏ってしまうからだ。それでも教室の運営次第で、遅れた子どもの幸せを子どもたち全体の幸せに結びつけることができる。自分たちも赦される(みんなの協力の下で)のだからとても安心し、他者に対して優しくなれるのだ。これはキリスト教保育の長所である。  もっとも現実の社会ともなると、理想道理には行かないかも知れない。それでもこの世界が神さまの愛に満ちあふれていると伝え信じることで、少しでも良い社会に近づけたいと願う。

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