7月21日「生命の回復」

 私たちは、生命を神様からいただいたもの、神さまは意思を持ち、命を与えて取り去る、という教義を受け入れている。ところが、現実の社会では、生物学的な死は不可逆であるとされている。とりあえず、この矛盾に答えるところから、話を始めたい。  神さまは全知全能である。故に、生き返らせることができる。聖書の記述はそのことを示している。もっとも神さまにはできるが、人にはできないことである。人に生命のやり取りは不可能です。というスタンスをとりたい。この教義の大切なところは、生命を人の自由にしてはいけない、というところにある。キリスト教価値観では、総べて生きとし生けるものは、神から生命が与えられている。それはとても尊いもので、おのおのが尊重される。一つの帰結が自死の禁止であり、その他生命倫理の根幹を規定する。  時として幼児は「自分なんかいなくなれば良い」という類いの、表現をすることがある。このようなことを冗談にも口にしてはいけないことを説得するためにも、この教義は有効である。  また、生物学的な死以外にも、社会的な死、精神的な死等々分析的に捉える必要がいわれている。エレミヤはその一例だろう。  定年退職も、ある種の社会的な死かも知れない。教会はこういう方々にも開かれた存在であり、活用してもらいたい。  近年は、自己肯定感の希薄な青年が多く、就業が継続できない一因とも思われる。実力不足を努力で補う以前に、限界と考えてしまう。指導力不足を反省するが、無力感もおぼえる。神さまに与えられた生命を大切にする、と伝えていきたい。

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