7月28日「キリストの心」

 キリストは、全人類の罪を一身に担い、十字架にかかられその罪を精算されました。ですから、キリストの心は、全人類が自らの罪が赦されたことを感謝して、互いに許し合うところにあると思われます。  ところが人間の性として、福音書に登場するファリサイ派のように、他者と自分を比較して、より罪深い他者を批判する者がいます。もしくは、自分は何ひとつ悪いことをしていないと主張する者もいます。しかしながら、人間の罪は深く、完全なる神との比較においては、その両者とも50歩100歩に過ぎません。  もっとも、性善説の日本文化の中では、受け入れられがたい教義であることも事実でしょう。そこで、礼拝ではひたすら感謝の祈りが捧げられます。根源的な罪に関してはほぼスルーされるのが現実ではないでしょうか。  なかなか難しい問題を抱えていることは否めませんが、あまりこだわってはいられません。何事によらず日々感謝の念を持って過ごすことが大切なことだと伝えています。  人間が日々営むわけだから、何かしらの不満はあるでしょう、そこを起点に向上心を持つことも良い結果を生むものです。ただ、時と場所を定めて、週に一回は礼拝を守る中で、感謝の念を新にすることはとてもお勧めです。

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