9月15日「神のわざが私に?」

 子どもの頃から頭の上に「?」が浮かび上がる聖書箇所でした。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。」(理不尽な印象もありますが、これは古代人の考え方として理解できました。)ところが「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」という答えに「?」がつきまとうのです。そんなこと(神の栄光を現す)のために、半生を全盲で過ごさせるなんて、神さまはひどい!!、と思っていました。  ところが全盲のゴスペルシンガーが、自分の目が不自由なのは「神の業(栄光)を現すためだ」と力強く語る姿を見て、びっくりして、納得してしまいました。  落ち着いて考えてみました。生まれながらに目が不自由な人は、その状態が当たり前の常態なのだろう。その目が見えるようになると今度は、常態からより良い状況となるのでしょう。もとが普通だったのだから。飛躍的に状況が良くなることは、確かに神の業ですね。  なにかややこしいお話しのようですが、これこそが健常者の思い上がりと指摘された気がします。上から目線の自分を恥じます。  すべての人が、神さまから恵をいただいて生きています。その恵を輝かせることに、互いが配慮し合うこと、そこに神の国が実現するのでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA