10月6日「世の富」

 私たちキリスト者は、神さまの元に「恵」があり、これを礼拝や信仰生活を通して分けていただき、みんなで分け合って生きている。この恵は不思議な性格を持ち、私たちが必要とするものに形を変わってくれます。例えば、食べ物であったり、衣服であったり、場合によってはお金にもなります。だから、恵を大切にしなさい。一方、ここで言われる「世の富」とは恵からの生成物にすぎません。こころを惑わされてはいけません。本当に大切な恵を見失ってはいけませんという教えです。  ここで取り上げられているのが、ルカ書の「不正な管理人」の喩えです。不正を働いた管理人が更に不正を働いて仲間を増やす、これが主人にほめられるという話しです。「???」というのが正直な印象です。  できるだけ整合性のある私なりの解釈を試みました。主人=神、管理人=祭司、借りのある者=一般庶民とします。主人の持つ財産は「恵」で総量は無限にあります。庶民が借りているのは「罪」です。(神さまの方を向かずによそ見をしたということ)管理人にしても借りのある者にしても罪人です。代価を支払う能力はありません。主人である神に贖ってもらうだけです。管理人と借りのある者は互いに不正を働いて借財を減らします。つまり互いに許し合って神に贖ってもらっているのです。  赦しの本質は神さまにあるのですが、管理人と借りのある者のやり取りを見て「まあいいか」と苦笑いをする主人の姿が、神さまらしくていいですね。  私たちは互いに赦されていることを確認しながら、共に歩んでまいりましょう。

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