11月10日「神の民の選び(アブラハム)」

 アブラハムは「信仰の人」と呼ばれています。伝統的にとても立派な人と言われてきました。とにもかくにも、神さまの命令に従う人でした。神さまが旅に出ろといえば、一族を連れて旅立ちます。神さまが子孫繁栄を約束したら、素直に待ちます。やっと得た一人息子を犠牲に差し出せといわれたらその通りにします。(さすがに、この件は直前に神さまからstopが掛かりました。後日談ですが、どうもこの件以来息子のイサクは父との同居を拒んだようです。)それはさておき結果としてアブラハムは神から義と認められました。(旧約テキスト)  だから私たちも、神様の命に従い神さまに選んでいただきましょう。この人の立派な信仰に倣いましょうというのがユダヤ教の伝統です。ですが、それはひたすら盲目的に神さまを信じるべきだという教えに発展しました。後の信仰義認の根拠とされました。(新約テキスト)もっともアブラハムが活躍したのは律法付与の以前なのでそれはそうなのでしょう。  主イエスこそ神の御子であり神そのものだという立場をとるヨハネ福音書では、神の命に従うべきだから、イエスの言葉に従うべきだと主張しています。もちろん、イエスさまを人間だと思っている当時のユダヤ人には受け入れられません。  今日的に、信仰義認という考え方は、律法(明文法)に拘束されないという意味で、自由な活力があると評価されます。一方、信仰のみの主張は、文面がありませんので根拠が不明瞭となり混乱するかもしれません。悪霊の言葉と見分けが付かないという皮肉な意見もあります。ですので、どちらが一方が正しいということではなく一長一短を踏まえて、ひとつひとつ判断を積み重ねていくものだと思われます。言い替えれば、規則やルールはあるけれども、話し合い最後は会議で決定する、ということです。民主主義の基本ですね。もちろん日本は法治国家でもありますので、法に定められたことを気にくわないからといって蒸し返してはいけません。法は遵守しましょう。ルール無視もありえません。その上に、自由に意見を述べて活力のある社会を目指しましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA