6月28日「天のエルサレム」

主題を考える。「天の」というところから、「地上にはない」という意味が汲み取れる。エルサレムは、イスラエルの首都である。バビロニアに占領され、ペルシャの時代に再興。ヘロデ大王の時代に最大規模を誇り、ユダヤ戦争で破壊され今日に至る。栄華を誇った期間はほんの少ししかない。しかも初代クリスチャンの時代には全くない。ということから、この世にはない夢のような世界を「天のエルサレム」に見出していることが解る。 初代のクリスチャンはとても厳しい時代を過ごしている。もっとも、今まで言われていた「厳しい迫害の時代を命がけで信仰を守った」というのは確かに事実を含むが、細菌の研究によると、平和な時代が多かったようだ。 それでも、キリスト教そのものが新興宗教であり、ユダヤ教からの支えも、ローマ当局の庇護もなかった。ユダヤ教からの断絶であり、ローマ市民権非保有者が対象の宣教である。苦労が忍べる。そのような中200年と少しでローマ帝国を席巻するほどに広がったのだ。それを、聖霊さまのお働きの成果と受けとめた。当事者である初代のクリスチャンたちは、天のエルサレムを夢見て、これを地上に実現すべく働いたことだろう。 ところで、私たちは近代という時代を過ごしている。近代とは、客観的に物事を捉えて、合理的に考える世代である。確かに、コロナウイルスは客観的に捉えなければ、前近代のように「~の祟り」のような捉え方をしたら、被害が大きくなるばかりだ。そこの所はきちんと理解しながら、それでも客観性や合理性を突き抜ける何かを求めるのも人間の営みである。聖霊さまの導きを信じて天のエルサレムをめざすことはとても大切なことだと思う。

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