7月5日「異邦人の救い」

 一般に「異邦人」と言えば、邦(クニ)が異なる人のことで、よそ者のような意味になる。ところが、新約聖書の中で異邦人とは、ユダヤ人以外を指す。もちろん、ユダヤ人は少数派なので、(ユダヤ人にとっての)異邦人=万国民という等式が成立する。「異邦人」には、他所から来た少数派というイメージがあり、キリスト者が使う定義と子となるために常々、違和感を覚えていた。ところがエルサレムには「万国民の教会」があり、これを初めて見た時に「異邦人の救い」が納得できた。その時の私の心の声をあえて記すと「大風呂敷を広げていたのか」という思いであった。 旧約聖書を見てみると、ヤハウエも最初はちっぽけな地方の土地神のようだ。御神輿の上に収まり部族間の戦いの前線で敵と戦っていた。そのうちにイスラエルの民が、古代帝国に飲み込まれ、ヤハウエが小物だとバカにされるようになった。そこで悔し紛れにヤハウエは「天地の造り主」であり、神々の中で一番偉いのだと、言い切ってしまった(ヨナ書)。このあたりから、取扱注意な存在になったようだ。そして、全知全能となって以来、万国民の神に落ち着いたと思われる。 まあ、天地のすべてを創造された方だから、ユダヤ人専属の神に落ち着くはずもありません。ヨナ書では、北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアを救ってしまいます。福音書では純粋なユダヤ人であるイエスさまが、本来、一緒に過ごせるはずのないサマリアの女と仲良くなってしまいました。使徒書では、ユダヤ人への逆差別もあります。このような目線で見ると、瓢箪から駒とはよく言ったものだとか、聖書そのものにとても人間らしい書物だという思いが湧いてきます。 でも、こうして、万国民を救う神さまとなってくださったおかげで、私たちも救い入れられたわけです。人間を民族ごとに好き嫌いしない神さまなので、私たちも世界平和を追い求めてしまうのです。悪いことでは無いと思います。

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