7月12日「生命の回復」

 聖書にはかなり頻繁に死者をよみがえらせる奇跡の物語が登場する。人間の世界では「死者はよみがえらない」が通説だから、死者のよみがえりは、特別な力が働いた事をしめす。全知全能の神が働いたことの証明となる。 よみがえりはともかく、古代社会では宗教的な団体にとって、病を癒やすことは社会から期待されることでもある。近代医学の無い時代においては大切なことだったのだろう。本日のテキストから使徒言行録の癒やしの業の用いられ方に着目したい。テキストを見ると、様々な人たちが登場しており、そこから当時の教会の構造が見える。この中で、ペトロは別格で、病を癒やすという特別な能力が期待されているのは彼一人だ。 弟子たちが教会の中心を担う働き人、聖なるものたちは指導者層、やもめたちは教会に保護される人たち、職人とは自営業の親方クラスで、ペトロの接待を担当している、今日の有力信徒だろうか。 つまり当時の教会は、聖なるものたちが中枢指導的地位、弟子たちが働き人としてやもめたちの世話をして、その働きに対して職人クラスが有力信徒として、経済面までも支えているようだ。癒やしの業が許されるのは、聖なるもの達よりも更に地位の高い使徒(ペトロ)にかぎられている。そのことから、決して無節操なまがい物を売りにしていないことがうかがわれる。 教会は弱者保護の福祉的な働きを中心とした宣教の業を広げる中で、癒やしの業が慎重に用いられているようだ。つまり、いかがわしい魔法使いの集団ではなく、誠意のある福祉法人だったようだ。  生命のやり取りは神さまの領分として、人としての領分を守り、隣人愛を示し続ける教会の姿を覚えたい。

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