3月21日「十字架上の勝利」

 「十字架上の勝利」とは、後代のクリスチャンが、死に打ち勝ったキリストを見て初めて気づけるものです。当時のイエスさまの周囲にいた人たちにとっては想像もできなかったことでしょう。どうやらイエスさまは周りの人たちから地上の(ユダヤ)王になると期待されてた様子です。 本日の福音書では、ゼベダイとヤコブの母が、イエスに息子たちの出世を依頼する姿が描かれています。さらに、他の弟子たちがこれに嫉妬する姿も描かれます。十字架が見えていたイエスさまは答えに窮しただろうと思われますが、確かに歯切れの悪い返答をしていました。 近年、ローマ史が流行し塩野七生が長所を述べれば、そうでもなかったと別の歴史家が語ったりしています。どちらにしても、属国であるユダヤが民主的に選挙(人気投票)で新しい王を擁立したら弾圧することに異論はありません。 今日の世界情勢を見ても、まっとうで民主的な手法で国の元首を選ぶところは少数派でしかありません。大半の国では政権批判はタブーとされており、ましてや勝手に国家元首を名乗れば死罪となるところもあるだろう。つまり、時代の空気も、今日的価値観からしても、イエスさまの周りの人たちはとても危険なことをしているようにみうけられます。 伝統的に「十字架上の勝利」は、現世の価値観とはかけ離れたところでの、天上世界での勝利(人を罪から解放する)を意味しており、ありがたく受け止めるべきところでしょう。現世にある牧師としては、現世にある政治情勢を見るほどに、イエスを十字架へと導いた力があまりにも現世的で気になって仕方がありません。 幸い、日本はまっとうな民主主義の国です。自分たちの幸せを喜び、そして今後とも守り、困難な立場の人たちを思い祈りましょう。

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