3月28日「十字架への道」

  本日は、棕櫚の主日です。この日の大切さを改めて知ったのは、ずいぶんと昔のことでイエス伝の映画からでした。(タイトルは忘れました)とにもかくにも華やかで喜びに満ちた群衆に囲まれてエルサレムに入城するイエスさまが描かれていました。こんなに華やかな日があったのか、教会では聞いたことがなかったと不思議に思っていました。 何がどうして華やかになったのか?それが十字架とどのような関わりがあったのか?一体何の罪で十字架だったのか?等々数々の疑問が浮かび、あらためて歴史を学び、答えを求めてきました。とにかく当時のユダヤ人たちは、自分たちの領主(ヘロデ大王の息子)もこれを支えるローマ皇帝ティベリアヌスも嫌いでした。で、イエスさまが登場して、自分たちの王になってくれたらいいな、と思っていました。その思いが最高点に達したのが棕櫚の主日です。ここでイエスさまはろばに乗ってエルサレムに入城します。この行為は旧約聖書の伝統によれば、新しい王の御幸を表す示威行為(デモンストレーション)となります。新しい王様ができたとみんなが喜んでしまいました。でもってこれは、当時の政権側(イスラエルもローマも)にとっては、「謀反の恐れあり(今の王を追い出そうとしている)」となりとても危険な存在となります。謀反が起きると責任を問われるから。そこで、見せしめとばかりに十字架にかけられたのでしょう。ですからイエスさまの罪状書きには「(自称)ユダヤ人の王」と記されたとなります。  権力者の側についてはこれである程度納得のいく話となりました。ところが困ったことに、イエスさまを祭り上げた一般民衆が見えてきません。当時の政治情勢を理解できていなかったのだろうか。無責任じゃないかと思ってしまいます。とはいいながら、その責任を民衆には持っていけない気もします。だから「罪」で御子の命で贖うという論理になるのかな。 今週は受難週です。主のみ苦しみを憶えて過ごしましょう。

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