4月11日「復活顕現」

主の十字架について、歴史としてのリアリティーは理解したいと思います。そして、現実としての歴史のただ中に、復活という「奇跡」が起きました。いわゆる常識人としての反応が聖書に記されています。 当時のユダヤはローマ帝国の属国であり、アンティパスが領主として自治を行っていた。彼は、ヘロデ大王よりも格下で支配領域も少ししか認められませんでした。ポンテオピラトは、いわば帝国からの出向で、治安の維持つまり反乱の防止が主な任務でした。ユダヤの当局者たちは、アンティパスの横暴を嫌い、帝国に交代を要請していました。が、帝国は「分割して統治せよ」の政策のもと、反乱が起きない程度での内輪もめは放置していました。要するに、ユダヤ人たちには不満が鬱積し何時爆発するか分からない状態であった、にもかかわらず、統治する側の総督、領主、議会は三つ巴の微妙な状態であった。そこに登場したのが「イエスさま」でした。民衆は歓迎して受け入れます。(棕櫚の主日)しかし、このまま暴動へと発展したら、統治する側の三者共がローマ当局から罰せられ破滅してしまいます。だから、木曜日の夜は3カ所で裁判、最終的には総督が責任をとる形で十字架刑、ただし罪状書きには、「ユダヤ人の王」を名乗ったという、政治犯でした。 通常でしたら、ユダヤの歴史によくある「メシアを名乗った乱暴者」で決着が付くのですが、福音書の記述からすると「空の墓」が発見されてしまいました。これに対してユダヤ当局は「弟子たちが遺体を盗んだ」と公式に発表したもようです。 「空の墓」=「復活」と受け止めた人たちからキリスト教が起きました。この論旨の飛躍に不思議を感じます。 

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