4月4日「キリストの復活」

日本の教会暦では、受難週の出来事がざっとで流されているような気がします。聖書の記述に従って何らかの追体験ができればより感慨深い物になるのにと思っています。そうすれば、聖書の記述が、ユダヤの暦に従っているので、太陽暦との調整が必要となります。その上で、ああこの時間帯に、最後の晩餐(ユダヤ教の過越の祭)をしたのだ。この時間帯に裁判を受けた。ポンテオピラトのところに連れて行かれた。ローマ兵から侮辱を受けた。ペトロが知らないといった。等々。「ああ、確かにイエスさまは苦しまれた。つらかったろうなあ」と思えます。こうして、人類すべての罪を担われた、と確信することが望ましいと思っています。 主の十字架に確信が持てたら、「復活」の記述は、素直に心が解放されたと喜べるとおもうのです。福音書の最古の記述は「空の墓」の確認で終わっているそうですが、それで充分だと思えてしまいます。 近代的な実証主義に基づいて「主の復活」を語ろうとすることは、意味のないことのように思えてなりません。主の復活に元気をいただいた人たちが、どれほど元気になったのかを示すのが「復活顕現物語」だと思えます。  素直にお祝いし喜びましょう。イースターおめでとうございます。

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