5月16日「イエスの昇天」

 大雑把なくくりですが、旧約聖書が語りかけているのは多神教の世界です。特にバビロニア捕囚の時代は、「ユダヤの神が弱いから捕囚になった」と嘲られていました。その後も、属国の扱いで辛酸をなめた模様です。この立場の人たちには、自分たちの神こそ生きて働く神だ。現実にイエスさまが来てくださった。という文脈で語ることができるでしょう。 一方、新約聖書が語りかけるのは、ローマの価値観に対してであり、「死後の世界はない」「神様は応援してくれる存在」という世界でした。ですから最重要なメッセージは「天はある」「神はいます」「イエスさまはそこに帰られました」と語っているようだ。 個人の見解だが、今日の日本の一般人の宗教的な素養はとても貧しい物になりつつあると思えてならない。「なんとなく神様がいる。」「いたらいいなあ」ぐらいではないでしょうか。基本的な「見えない物を信じる心(ここに神が入るか仏が入るかは人次第)」そのものがとても薄くなったと感じています。 私たちは私たちで、イエスさまが天に昇られることを当然としていたことを反省する必要があるのでしょう。教会が当たり前に思っていることは、決して社会では当たり前ではないこと、改めて力を込めた語る必要のあることを、新約聖書(最初のクリスチャン)から学びました。

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