6月27日「主にある共同体」

聖霊降臨節なので、共同体(教会)の在り方について考えましょう。 使徒言行録に記された信徒たちの姿は、原始共産社会と呼ばれ社会や思想に影響を与えてきました。年の若い頃は、「みんなで持ち物を分け合うなんて素晴らしい」と思ってしまいがちです。しかしこの考えを突き詰めた共産主義が「お金持ちを殺して(?)その資産をみんなで分ければ幸せになれる」程度の思想でしかないそうです。そんな乱暴な話だったの?と思われるかもしれませんが現実を見てみましょう。ソビエトが崩壊し、北朝鮮も独裁で国家としての経済が伸びません。中国に至っては独裁的な資本主義でしょう。 経済学的に見ると、共産主義の思想は金本位制のままに見えます。お金持ちがどれほど稼ごうがため込もうが、政府が通貨の供給を増やせば元の木阿弥です。資本主義方が明らかに優位ダと思えます。それでもなお、格差を問題視する視点もありますが、大富豪の資産はすでに天文学的な数値となり、とても個人では消費しきれないでしょう。言い過ぎかもしれませんが、景気の指標とされるGDPとは通貨の運動量のことでしょう。その運動量がエネルギーを生み出して経済を動かしているようです。 私たちが着目すべきは、貧しい人たちであり、彼らが健康で文化的な生活を維持できるだけの「手当」があれば足りる気がします。(克服すべきは嫉妬心ではないでしょうか) 聖書は旧約時代から一貫して、弱者の保護、貧者の救済を掲げてきた。不正は憎むが、富裕であることは悪とはしていない。今日的にも耳を貸せる内容と思います。

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