9月12日「隣人」

  隣人愛は、キリスト教の基本です。教会学校で隣人愛を学んだ直後のことです。小学生の私は、家の表を掃除するように言われました。お隣の前も掃除したら自分が偉い。そのお隣も、……とキリのないことに悩んだ思い出があります。高校生になるともう少し知恵が付きまあす。バイト先で、同じように店の表を掃除するように言われました。お隣との境界線の、一回りぐらい広めにお掃除しました。近所の人が見ていて「あの子はいい子だと」褒めてもらいました。 キリスト教は隣人愛をお勧めしています。ただやみくもにというわけではなさそうです。程度はわかりにくいですね。これはあくまでも、道徳・倫理・モラルのお話しと理解しましょう。ここまではしなさい、とか、これで充分です、はありません。何何すれば、確実に天国に入れてもらえるというお話しではありません。それでも、「自分だけ良ければ」という態度では社会的に受け入れられません。 聖書のテキストは、いろいろなケースを伝えてくれています。旧約聖書のヨセフ物語は何回です。たぶん、ヨセフが家族を許すお話しですが、エジプトの民がヤコブの一家(=ヨセフの家族)を受け入れたところに、隣人愛があるのだろうと思えます。   主の教えは、「七の七十倍までも赦しなさい。」とあります。事実上の報復の禁止命令にきこえます。しかしこれにも条件が付きます。罪を認め、心からの謝罪(要するに悔い改め)が前提でとされています。反省どころか罪すら認めない事件が後を絶たない現代でも、心を痛めることは少なくありません。隣人を愛し仲良く過ごしたいものです。

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