9月26日「労働の意味」

   有名なたとえ話で「ぶどう園と農夫のたとえ」です。ここでは、労働にありつけた人と、働く機会に恵まれなかった人に同じ給料が支払われています。天の国では確かにそうだろう。ローマの支配下で高齢の奴隷が重労働に耐えられなくなった場合について「奴隷の扱い方」に記されていました。穏やかに生かされるか、悲惨な待遇に置かれるかは主人の思い(経済状況)次第となったいました。それはあまりにも気の毒なので、例え結果として成果が上げられなくとも、働こうとする意思を示す者には生活ができるようにしようとメッセージが込められているように思えます。この考え方そのものは、今日の社会福祉に通じるものがあります。 弱者保護は当然だが、今日的には、弱者ではないものが、普通やより強い立場の者は、より多くのお金を稼ぎ、直接(寄付)、間接(税)にお金を拠出しなければ、このようなのシステムは成立しません。寄付は、思いのままに拠出すれば良いだけだが、税を投入するとなると、民主的な合意が重ね重ね必要となります。  それはそれで、いろいろな問題を内包してしまうのだが基本的には、弱者を保護するのにも財源が必要であり、それは才能があり、努力のできる人が人一倍稼いだ分から分け与えられることになるのだろう。つまり、若者たちは、しっかり勉強して、努力を積んで、才能を開花させ、しっかり稼いで、多額の納税をして欲しい。いやそうしなければ、国の経済は立ち行かなくなる。若者よ、しっかり勉強してしっかり稼いでくれ、と学校で教えて欲しい。安定的な経済の発展が必然となるのでしょうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA