10月3日「信仰による生涯」

 今更ながらですがキリスト教がこの世に登場したときは、新興宗教でした。そこでは(ローマ社会)何も知らない人たちに、(ギリシア・ローマ神話に基づく多神教、エジプト発のミトラ教、ペルシア発の拝火教等々)神さまのすばらしさを伝えていかなければなりません。 この神さまはこんなに素晴らしい。この神さまを信仰するとこのようないいことがあります。という表現(今風には「ごりやく」といいます)が聖書にも散見されます。 さすがに時代が近代になると、直接的な「ごりやく」には説得力が無くなり、表現が穏やかになります。では、「ごりやく」のない時代は「信仰による生涯」にどのようなメリット(よいこと)があるのでしょうか? この点の議論の前提として、「信仰」とはなにでしょう。端的に言えば、神さまを信じること、です。もちろん、口先で「神さまを信じています」と言う以上は、何かしら行いが伴います。神さまが求める何かしらを価値ある物と認めて生活に反映させます。実はここが大切なことです。今日明日に結果が出なくても、神さまが大切にしなさいと言ったことを、大切に大切に過ごすことが中心となります。 私たちの歴史を振り返ると、この何かしらを大切に過ごすこと、場合によっては何世代にもわたって大切に過ごすと、結果として、「良いこと」に結びつきます。 家族が共通の価値観を持って、お互いに助け合うなど、が考えられます。 「信仰による生涯」が良いことだからこそ、数千年もの間語り継がれたのです。地味ですけどね。

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