3月27日「主の変容」

 福音書の書かれた目的は「イエスはキリストである」ことをその読者に伝えることです。イエスさまは完全な人間であり、同時に完全な神さまでもあります。今日のテキストは、山の頂上(神の領域)で、神さまの部分があふれ出てきた、と思われる場面です。  山の頂で、白雲が湧き起こり、衣服が真っ白に輝く場面は、モーセの十戒付与の場面を彷彿とさせます。モーセとエリヤが同時に現れることで、律法と預言というユダヤ教の二本柱でイエスの神性を補強しています。なぜわかったのかとか顔を知っていたのかとは、聴いてはいけません。西洋絵画の世界ではそれぞれに石版と巻物をもたせて見分けるようになっています。  その場に居合わせたペトロさんのあたふたさ加減もユーモラスに神さまらしさを演出しています。 イエスさまの内なる神性が光輝いたわけですが、私たち人間も、光輝く神性を内在しています。 創世記では人はチリで作られ、神の息が吹き込まれています。パウロの人間観も土の器に宝が隠されているといっています。イエスの神性に目を奪われるだけでなく、私たちの内にある秘められた、神聖なものを大切にすることも大切です。これらのことは、文明や宗教にかかわらず認められている、といっても言いすぎではありません。 人間というものは、確かに何かと問題をもっているのですが、基本的には良い存在であり、輝く力を持っているものです。尊いものです。 今日現在、ウクライナとロシアの戦闘行為が続いています。たくさんの命が失われています。本来だったら、輝いているはずの命が失われていくことに、大きな痛みを覚えます。一刻も早く、戦闘が終結し、平和が訪れますように祈ります。

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