3月6日「荒れ野の誘惑」

 教会の暦が降誕節から受難節へと変わります。イエスさまの日常から十字架へと場面が変わります。大変な苦しみを受けられるのですが、最初に受けられた試練をここで復習しましょうという文脈のようです。「荒れ野の誘惑」といえば、悪魔が登場して三つの試みが行われると多くの人が理解されています。しかし福音書によって記述が異なり、本日のテキスト「マルコ」はもっとも短い記述となっています。 マルコによると、霊がイエスを荒れ野に送り出しています。つまり神さまの導きで誘惑を受けています。そしてサタンから誘惑を受けています。サタンとはヨブ記に登場した神さまの天使です。神さまの教えを守るヨブに苦難を与えたらヨブの信仰が揺らぐと神さまに諫言しました。ヨブを直接苦しめたのはサタンなので、イエスさまもさぞやヨブ並みに苦しまれたことだろうと思われます。その間、野獣が一緒にいてイエスさまは危険にさらされていましたが、天使たちが仕えて、支えていたとしるされます。きっと、野獣に迫られているイエスさまを、上から「がんばれ」と励ましていたことでしょう。  マルコの文脈からすると、イエスさまがヨハネから洗礼を受けたときに、霊がイエスさまに降ったとあります。これによってイエスさまは神の力を宿す存在となりました。天地を創造する素晴らしい力です。しかしこの力を、人間の欲望のままに使うことは、神さまの御旨から離れてしまう行為です。欲望に動かされないでコントロールするだけの心が養われていないと、使命が全うされません。そのためのトレーニングが荒野の誘惑と思われます。大きな力を託される者は、目的や使い方を見失わない強い心が必要なのです。 受難節は、主のみ苦しみを憶えて過ごすときとされています。人によっては、何かしらの我慢をすることで、主に倣おうとする人もいます。確かに社会で働くには何かしらのトレーニングは必要だとは思います。が、主の祈りにあるとおり「わたしたちを試みに合わせないで悪しき者からお救い下さい」と素直に祈ることも赦されています。

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