5月1日「まことの羊飼い」

 私たちクリスチャンは、旧約聖書の背景を特別なものと思い込むように教育されてきました。旧約聖書に記された歴史は、神さまのお導きであり人類が救済される物語だと考えがちです。しかし時には、純粋な中東の歴史や思想が表されていると、考えてみることも参考になります。本日の主題となった「まことの羊飼い」も元は「良い羊飼い」であり、中東で王に求められる特性の一つでした。特別な宗教的な価値観ではありません。王の持ち物「錫杖」(エジプトのミイラももっています)が、元来(キリスト教以前)の羊飼いの杖をモデルにしたものだったことはあまり知られていない。王に「良い羊飼い」が求められていることは、領民を上手に養うことが求められてきたことを示しています。  「良い羊飼い」以外にも「平和の君」等があり、王に求められた特性は、食糧の確保と治安の維持にまとめられています。現実の王が十分に答えてくれないのでキリストに期待されたとも言われています。  ウクライナとロシアの戦闘が続いています。ナポレオンのロシア遠征以来(本当はもっと昔から)、ウクライナ方面に在住していた人たちが、どの民族であっても、どの国家に属していても、踏みにじられてきたと見受けられます。  教会の暦としては、イエスさまこそ「良い羊飼い」=「まことの羊飼い」として思い起こすときである。それでも、現代の為政者こそが「善き羊飼い」=「まことの羊飼い」として、そこの領民を守り、他国を侵略しないでいて欲しいと心の底から願ってしまいます。  ネット上には、ロシアの兵隊の給与が5万円とか、死亡時の弔慰金が1万円とか、今時の人件費とは考えられない数字が飛び交います。ウクライナ人の住居からの略奪する物資も家電品や量産品ばかりで、働いて買った方がよほど早いものばかりに見えます。情報の量としては意図的にコントロールされているのでしょうが、二十一世紀に正規軍の兵士が略奪に走ることが理解を超えてしまっています。 30年ほど昔の新興国では珍しかったかもしれないが、陣営によらずそれぞれ経済的に発展して、家電製品ぐらいは普及しているだろう。さらには円安の日本に買い物に来ているのが現実のはずです。「王様」は一体何をしてきたのか?はたして「善き羊飼い」として振る舞ってきたのか。戦争にかり出されてきたロシアの若者たちも気の毒に思えてしまう事柄に見えます。真面目に働いて、正当な対価を得て、豊かな暮らしにいたることがそれほど困難なことなのだろうかと思います。

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