5月29日「キリストの昇天」

 私たちは教会暦に従って礼拝の主題を定めています。教理や教義に慣れすぎたせいでしょうか、時折「?」と思うこともあります。本日の主題「キリストの昇天」も定められた頃に思いを寄せて考えてみたいと思います。「キリストの昇天」に関して文献を調べてみると、使徒信条に由来したことがらとされています。使徒信条はキリスト教の教義を文書化したもので、紀元60年頃には現在とほぼ同じ形のものが使われていました。その中の記述で「天に昇り」とあるので昇天したということらしい。もっとも復活のキリストイエスが、天に昇り弟子たちが見送った、というのはルカの記述であり、使徒信条の記述を物語にしたのだろうとおもわれます。  とはいいながらも、現代人である私たちに「天上世界」をイメージすることは難しく、戸惑いを覚えるひともいることでしょう。逆に言えば、古代人にとっては、世界を「天上、地上、陰府」の三回に分類することは常識だったのでしょう。そこから類推して、地上に来られたイエスさまが、実は天地の始めからおられたキリストであり、生まれ故郷に戻られた。もちろん、死を克服された方だから、不思議な力で天に昇られたのだろう。と論理的に組み立てができます。当時としては説得力があったもようです。 今日の私たちは、人工衛星が飛び交う中で、自分たちの世界の延長線上に、つまり、上に上にと上っていいっても、天上世界にはたどり着けないと知っています。そうはいいながらも結構最近までは、天上世界が上の方にあると期待を寄せていました。世界のジョーク集に、世界最初の宇宙飛行士ガガーリン少佐は、「衛星軌道上に天国はなかった」と語ったというのがあります。私の記憶には「上を見ても下を見ても、前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見ても、天国なんてものはどこにもなかった。」 とのジョークがありました。ソ連は共産主義の無神論で、プロテスタントの米国(天国を信じている)を揶揄したお話しです。東西の冷戦期に無神論のソ連が、米国よりも先に有人の人工衛星を飛ばし、唯物論の優秀さを訴えたというものです。これもまあ、60年も昔の話です。以降、私たちが直接にたどり着ける範囲に天国は無くなってしまいました。 まあ、私たちが存命のまま、天国に入るのは元の教義からしても矛盾していますので、元々神様は次元の異なる世界にいらっしゃったのだと、気軽に受け流してくださればと思います。  ということで、キリスト様は元いた(私たちのたどり着けない)場所に帰られました。そして、それは次の段階、聖霊様として見えない形で私たちと共にいてくださるためです。次週の聖霊降臨日には、皆さん元気をいただいて、宣教に励みましょう。

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