6月19日「伝道する教会」

  私たちクリスチャンは伝道する教会というと当たり前のように思えます。だから、伝道しない教会がこの世界に存在するといわれると、逆に驚いてしまいます。キリスト教に近いところからいうと、ユダヤ教とイスラム教です。この二つの宗教は、伝道しない代わりに「子どもの信仰は親が責任を持つ」、とされています。キリスト教からは離れますが、先祖代々信仰が間違いなく継承される世界を福井県でみたことがあります。浄土真宗では先祖伝来のお墓(信仰)と田んぼ(家業)がセットになっており、信仰の継承が生活の安定と密接に結びついていました。ここでは、男子がお墓と田んぼ(土地)を相続します。5才にもなると耕運機(田植え機)に乗って自覚を促します。おまごちゃんの信仰にはおじいちゃんが責任を持っていました。キリスト教は比較的安全な存在として尊重されます。ここでは日蓮宗(創価学会を含む)が伝道型として嫌われます。相続の場面では、田んぼ(土地)が分けられないので、これに見合う現金が分けられます。そのために質素に貯蓄に励んでおられます。聖書に登場する放蕩息子は、敷居をまたがせてもらえません。与えられた相続分を食い潰すなどとんでもないという世界でした。「たわけもの」という表現がありますが文字通り先祖伝来の「田を分ける者」を指します。結構厳しいところもありました。 これに対しておおらかな、ゆるい継承は神社でしょう。特定の区域がありそこに住む人はすべて氏子という理解です。まあ、神道には「教え」がなくて狭義の意味では宗教ですらないかもしれません。特別な規定もなくただただ「ありがたい」という思いを大切にすることも、広く永らく受け入れられていました。祠やお地蔵さんなどは、近所のおばあさんが掃除をしてお世話します。特定専属の宗教家を必要とはしませんでした。このように大方の宗教は、土地産業と結びつき、家族親族の安定を図ってきました。 この視点からすると伝道型の宗教は、新興であるが故に、資産とは結びつかず、既存宗教のシェアを奪う存在として嫌われる傾向にあるようです。ちなみに、現在はイスラム圏はもとより、イスラエルでも布教活動は禁止です。 教会暦は、初代教会の伝統を色濃く残しています。さらには、日本のプロテスタントは、第二次大戦後に増えたところもあり、伝道型でスタートしました。戦後の価値観の不安定な時代はそれなりの成果があったみたいです。しかし、子どもたちへの信仰の継承が、うまく運ばなかったところもあり、苦戦しているのが現状です。社会の情勢に合わせて、言い換えがなされてきました布教から伝道、そして最近は宣教と言い換えています。人の思いや考えを変えていくのではなく、正しい教えを広く宣べて、賛同者を募る形態に変わりつつあります。穏やかに進めましょう。

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