7月10日「神の計画」

 旧約聖書のエステル記より、モルデカイの説得の言葉が選ばれています。内容の詳細は略しますが、私の目にはご都合主義で説得力に欠けた言い訳に思えてなりません。ここではこのような言い訳をあえて受け止め果敢に挑戦するエステルの姿が輝いて見えます。たぶん、「神の計画」は私たちの予想を超えて働くと言いたいのだろうか。エステル自身はかなり不幸な生い立ちといえます。早くに両親を亡くし、持って生まれた美貌を養父の出世に利用され、王に飽きられ、放置されているところに、全ユダヤ人の運命を背負って王と対峙するように求められています。 エステルの成功は極端な例として、私たちは自分の置かれた状況を、どのように理解すれば良いのだろうか。厳しい状況に置かれ、将来に希望をもつのにはどのような受け止め方があるのだろうか。 現代の人間として、すべてを偶然の産物と考える人がいる。これは虚無主義といって、努力する(人間らしい行為)意味がなくなってしまうだろう。偶然の次に来る極論が運命論でしょう。すべてが事前に定められているという考えです。実はこのあたりは、さまざまな議論に既に決着がついており、大まかな予測は立っても、不確定な要素が残されているとされています。客観的には、神様や悪魔が介入することを前提としてはいけません。しかしそれでも主観として、神様が自分を守ってくれる。愛してくれる。自分が社会にとって必要とされている。というふうに積極的に受け止めることが、精神衛生上とっても優れていると実感しています。

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