7月3日「宣教への派遣」

 伝道する教会から宣教のために人が派遣されていきます。聖書日課の最初に預言者アモスの自己紹介が選ばれました。そこには「いちじく桑を栽培する者だ。」とあります。この一節を取り上げて、アモスはお百姓さんで教育は受けていないという仮説を立て、宣教の業に学歴不問を唱える人もいます。ですが、これは、神様からの命(召命)が絶対に必要という意味です。現実に予言者も伝道者も人に話を聞いてもらう必要性から、それなりの教養なり学問はあるに超したことはありません。論理学では前者を必要条件と呼び後者を十分条件と呼びます。どのような場合であれ、神の命や信仰は必須ですが、長期間に安定した牧会を求めるならば、毎週説教を作れるだけの教養や勉強量はあった方がいい、といえます さて、今度は送り出す側の問題です。使徒言行録では、聖霊様に導かれたとされています。確かに聖霊様が目に見える形で表れて、「この人」と言ってくれたら楽です。しかし現実的ではありません。基本的には会議を開いて話し合いの内に決定されます。会議のはじめにみんなでお祈りをします。各自の内なる「神様から与えられた賜物」が発動して意見を交換します。その結果を聖霊様のお導きとします。大切なことは、内なる聖霊様の声を聞くことのです。各自の思いのまま利益を求めてはいけません。今日の民主主義も、この体裁の中で、「全体の利益」について発言するものです。 創世記で言われる「神の息」を与えられた者が、これを活性化して話し合う。その結果を神の御旨と信じて、必死に努力をして今日へと続いています。

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