8月14日「主に従う道」

 聖霊降臨節ですので、教会には主の教えを守ることが求められています。しかし、それはとても困難な道であることはかねてから指摘されていたとおりです。 明治維新政府はスローガンに「和魂洋才」を掲げていました。西洋の進んだ技術は学ぶが、心の置きようは日本文化を守るというものです。結局のところ、前近代的なありようが今日まで続いていると思われます。つまり、客観性や合理性は後回しで、情緒が優先されています。 それでも「言霊信仰(言葉として発したことが具現化する)」は福島第一原発の事故以来廃れたもようで、天災のシミュレーションは公開されるようになりました。以前は、「事故を起こしたらどうする?」と言葉化するだけで「本当に事故が起きそうだ」となり「そのような言葉は出さずにおこう」となったものです。予測すら許されませんでした。さらに、国防を考えるのに仮想敵国を設定することもダメでした。「本当の敵になってしまうから」です。まあ、「お前の母ちゃんでべそ」という呪いの言葉に類するものです。 またかつては、内と外を峻別して、身内の恥を決して漏らしませんでした。そのようなことも、最近は漏れ知られるうようになりました。SNSの普及により、あっという間に広がってしまいます。学校内のいじめが、かつては教育委員会箝口令で握りつぶせたものが、旭川女子中学生いじめ事件のように、手の内からあふれて社会問題にされています。 キリスト教には神様がいます。人によって受け止め方の程度は色々でしょうが絶対的な神様で、宇宙の秩序を守ってくださいます。変幻自在な日本ルールは公には通用しなくなりつつあります。以前より安心できる社会になりつつあるようです。 主の教えに従い、正直に生きてきたわたしには住みやすい時代となりました。 

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