8月21日「家族」

 創世記では、「人は一人でいるのは良くない」との神様の配慮が示されています。一般に社会を形成する最低の単位を「家族」と表現しています。ですので、旧約聖書の家族は実際には部族ぐらいの単位になるでしょう。そして、古代社会の家父長のくくり形でも、現代の家族という括り方でも、常にこの括り方を広めにとるようにというのが聖書のメッセージです。少しでも家族の輪を広げて、みんなが助け合う社会にしたいという思いです。安息日律法では、男女の奴隷、家畜、寄留の民まで安息日を保証しろといいます。イエスさまは、赤の他人の幼児まで受け入れて祝福の対象としています。時代や価値観によって家族の括り方は色々でも、その価値観そのものを批判することなく、少しでも広く家族と認識して、神様の恵みを分かち合うようにということです。 時々見かけますが、人類全体(会社や社会)の幸せのために家族を犠牲にするという、二択を迫るようなことはしてはいけません。何よりもまず自分自身であり、次いで家族、そして家族の枠を広げながら、究極には全人類となります。  統一教会では、現教祖を「マザームーン」と呼び習わしている。家族という呼称を使うところが、煩わしく思えます。キリスト教会では、マザーと呼べばマザーテレサであり、~ムーンとはシスタームーンでアシジのフランチェスコとっても偉いお坊さんを示します。もっと、ブラザーサンと対に使います。太陽を父として、月を母として神様の創られた世界すべてが家族です、というぐらいの意味です。旧態依然とした家族制度を乗り越えようというメッセージです。お前たちは子どもなんだから、生活をないがしろにしてでも、献金しましょうとは異なります。似せてくるところが気持ち悪いといえます。 

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