8月7日「キリストの体」

 先週は、幼稚園を休園しました。2号処置児では、休園の基準がなく、かつ、誰にでも説明のできる客観的な理由を求められました。まず、倶知安町の感染率が1週間で0.8%に比べ、幼稚園関係者では40%を超える感染者となりました。内部で感染が広がっていると判断するのに十分な数値です。事業を一旦停止することが賢明と判断しました。子どもに接する大人の感染率を見ると60%を超えていました。 健康な保育者をこれ以上投入できない。子どもの感染者が増えると、家族全員に行動規制がかけられます。たとえ子どもの所帯が共働きであったとしても、健康なまま家に帰すことができれば、両親のどちらか一人だけが休めば良い。との理由にしました。 行政は、文字通り政を行うことだけをもとめるものです。しかし大原則として、法に網羅的なものはなく、必ず隙間がある。最終的には人間が判断するものです。民主主義の原理は、最大多数の最大公約数的な、幸福を追求するものです。共働き家庭に少々の迷惑を掛けても、被害を最小に留めることは許される。ということになります。 まあ、不特定多数の人たちを説得するのは大変で、レポートとして書類を提出しました。 特に、民主主義の原理については、難しいようですが、真です。そしてここまで突き詰めて考えると、聖書に通じることも理解できます。たしかに体は色々な部分から成り立ちますが、トータルとして一つです。というパウロの言葉の方がわかりやすいかもしれません。「保育に欠ける子ども」を預かる仕事ですが、個人として保育に欠けるという部分だけを見てはいけないのです。その向こうの家族や、保育をする先生たちも見なければいけません。そして、職場の長としての総合的な判断が求められます。 苦労しますね。

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