9月18日「生涯の献げもの」

 ニュースによると、安倍元総理を射殺した犯人に同情が集まっているそうです。その理由が、元統一教会が過剰な献金を求めた結果、犯人の一家が離散したという不条理(息子に当たる犯人にはなすすべも無かっただろう)に対する怒りだったからです。だからといって犯人を許すこともできないし、安倍元首相にもお気の毒としかいえません。ですので、2デナリを献金した寡婦に対して、全財産を献金したことが誉められるという記事には、いろいろと思わされます。 私たちの神様は、天地万物を創造された方です。この世のすべては被造物です。私たちが所有者として権利を主張できるのは、あくまでも被造物同士の話し合いの席だけです。神様を前にしたときは、すべては神の所有物という姿勢が求められます。 その神の所有物のほんの一部が私たちの手元にあり、これによって日々の生計が立てられています。ですので神に対して感謝を献げるのは当然のことです。もちろん、多いに越したことはありません。 ところが同時に、被造物同士の間には所有権が発生します。無遠慮に多額の献金を献げたり、家族の所有物を無理矢理取り上げて献げるという行為は決して認められません。 そもそも論になりますが全知全能の神様がそのように物欲にとらわれているという、統一教会の教えや指導は明らかに間違っています。それこそ、「教会は神様のめぐみが満ちあふれるところです」といいきって、高楊枝を気取るぐらいが、ちょうどいいと思います。教会にしても、個人にしても、お金はちょっと足りないぐらいが、人間は思い上がらなくてちょうど良いと思います。 

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