10月16日「執り成し」

 人間には罪があります。一方、神様は完全無欠です。そこで、罪のある人間が神様に許してもらうために、「執り成し」が必要となります。もちろんイエスさまの役割なのですが、聖霊降臨節(イエスさまが天に昇り聖霊様が教会のお世話をしてくれるとき)には、異なる対応となります。聖霊様が取り次いでくださります。 さて、本題に入る以前に、罪について確認します。罪には神様に対する罪(sin)といわゆる犯罪(crime)の別がありここでは神様に対する罪(sin)が問題になります。 そして、神様に対する罪(sin)をヘブライ語では「的を外す」という意味があります。心の向きががほんの少し神様からずれてもそれは罪(sin)です。ですので、心の向きを元に戻すのが「悔い改め」となります。いわゆる犯罪、刑事犯とは全く異なる次元のお話しです。 ところで、私の長女が3歳の時に替え歌を歌っていました。童謡・ちょうちょの節で「えーやんか」繰り返していました。翌日は童謡・森の熊さんの節で「まあ、ええか」を繰り返していました。まあ、ようするに「えーやんか」は許しを請う讃美歌であり、「まあ、ええか」は許しを与える讃美歌でした。(注意:関西弁です)そうですね、キリスト教の幼稚園ですから、「ごめんなさい」には「ああ、いいよ」と返事することが決まっています。 そこで、主日礼拝の構造ですが、この「ええやんか」と「まあ、ええか」の繰り返しになっています。 つまり、礼拝を守ることが執り成しになっている(許しにつながる)ということです。 私たちは毎週、礼拝をとおして、神様に「ええやんか」と許しを請い、神様から「まあ、ええか」と許され、安心して次の一週間を過ごしています。今日も「まあ、ええか」と許されたので、安心して帰りましょう。

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