10月2日「キリストに贖われた共同体」

 「贖う(あがなう)」は特別な日本語です。キリスト教用語といっても良いぐらいの言葉です。意味は「奴隷を対価を払って買い戻す」となります。 当時の奴隷制度ですが、自由民は「自由」を持っています。この「自由」は売買可能です。自ら「自由」を売ってしまうと奴隷になります。現実には、戦争に勝った物は勝者の権利として、敗者のすべてを奪います。命も奪えるのですが、売った方がお金になります。そこで、敗者を「奴隷」として売ります。こちらが大半でした。債務の結果奴隷となった者ですから「債務奴隷」と呼びます。 何れにしても、この「債務奴隷」は対価を払えば誰でも買い戻すことができます。例えば、奴隷が畑作をするときに、収益を主人と分け合うなら、自分のお金ができます。このお金を貯めることができれば自分のお金で自分を買い戻すこともできます。が、これはその奴隷自身によほどの才覚がある場合に限られます。また、主人が何かの記念や自分の遺言として奴隷を自由にすることもできました。こちらには「運」が必要ですね。 初代のキリスト者には、ローマ市民以外が多いものですから、例えば女性(主人の所有物)、属州民(戦わずにローマに負けた者)、債務奴隷(戦ってローマに負けた者)が中心となります。いずれも、精神的には負い目を持っていたでしょう。 この人たちをひとまとめ(共同体)にして、その負い目を取り去ってくれる(贖ってくれる)のが神様ということになります。言われた側は、どれほど嬉しかったでしょう。 ちなみに塩野七生さんは、今の日本で債務奴隷はサラリーマンが最も近いといっています。例え、借入金がなかったとしても、自分で働くしかありません。確かになるほどです。

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